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 ショーン・セジウィックは枕元に置いてあった芸術品のようなコンパクトミラーを開き、自分の顔に枕の跡がついていないことを確認すると、少年の人形のような肌を歪ませて、にこっと微笑んだ。
 就寝前に布団を人間だと思い込み、心の中で語らう癖が、物心ついた頃から消えなかった。布団を相手に芝居をしている内に寝返りを多くうつので、朝になると顔におかしな跡がつきやすいことに気付いたのは、半年前のこと。
 ショーンは自分の外見が、愛する人形たちとかけ離れるのが嫌だった。人形を造形するとき、理想の美しさが浮き彫りになるのだ。醜いものに見慣れて、手を抜いた造形をしてしまったり、仲間である人形たちと姿形が異なったりするのを恐れていた。大人は大人同士、子供は子供同士、人種の垣根は越えず、夫婦は例外として似た者同士でつるむのが、この時代での慣わしだった。
 自室の人形の大半は少女型だが、今朝のショーンは少女用のルームウェアを脱ぎ、少年服に袖を通す。活発に動き回る日になるからだ。まずは学校に着く前に1件の納品を済ませたい。今日は手製の人形服を待っている者が4名もいる。
『私の服の材料費をまかなうためとはいえ、そんなに素敵なお洋服がよその子のものになるなんて悔しいわ。貴方に貰えた愛するこの体の硬さが、少し恨めしいの。働けたらいいのに』
1番のお気に入りの少女人形である“コットンキャンディ”の想いやりに笑みを返す。ショーンの寝顔を一晩中見守れる、サイドテーブルに置かれた椅子に、昨夜と同じく優雅に腰掛けている。
「この服も頑張って縫ったが、いつもキミに捧げているものは、とっておきの渾身の力作さ。出来栄えの心配をしていたから、褒めてくれて嬉しいよ。キミが働きたいと言ってくれることもね。だけどコットンキャンディは苦労せずに、幸せでいてほしいんだ。今日もサロンが開かれるんだろう? 皆と楽しんでおいで」
 名残惜しそうに見える少女人形の額にキスして、倒れていた少年人形を立たせると、上着と鞄を抱え、40体の可憐な人形たちに見送られて、メイドの作った朝食の香る居間へと向かった。
 セジウィック家は特別に心が広く、ショーンが少女趣味でも強い否定の声は上がらない。細部に女々しい意匠が施されているものの、普段よりは常識的な服装をしているのを見て父は満足げに微笑んだが、すぐに読んでいた本に視線を戻した。こんな日に兄に会うと『妹よ! 男の格好なんかしてどうした?』といったような声をかけてくるのだが、今朝は見かけない。母は早朝に入眠し、昼に起きるのが日課だ。
しっかり噛んでパンと野菜スープと少しの肉を摂り、水を一杯飲んで、身支度を整え、屋敷を出て真っ先に向かったのは、大きくはないが豪奢な造りの劇場“庭いじり座”。同級生たちが滅多に入れない煌びやかな場所への立ち入りが許されると、凄い人物になったような気分でその日の学校生活を乗りきれるので、ショーンは好きだった。それに今日最も報酬の高い依頼だったので、優先したかったのだ。
花のレリーフと小さい宝石が散りばめられた扉を、盗人に2度持ち去られて以来、庭いじり座の前にはいつも警備員がいる。顔なじみの屈強な警備員はショーンに軽く挨拶すると、金色の飴をひとつ手渡してくれた。
入口から正面に向かって、4枚目の扉の奥にある舞台に依頼人はいなかったので、朝早くから練習していた2人の劇団員に居場所を尋ねて、楽屋へ向かう。1人の道具係とすれ違ったが、何も言われることはない。観客に見せるわけでもないのに華美な楽屋の扉をノックすると、扉越しでもハキハキと気のいい返事が聞こえた。遠慮なく踏み行ってまず目に入ったのは、コットンキャンディ2体分の高さの、テーブルに置かれたマカロンタワーだった。
「セジウィックくん、よく来てくれたね。納品かい?」
 マカロンタワーに気をとられたのも束の間、大きな足どりで依頼人が目の前にやって来た。庭いじり座の支配人、モージズ・アップショーだ。派手ではないが、上等だとわかるスーツを着ている。
「遊びに来るほどの厚かましさはないですよ」
「おやおや、遠慮しなくていいのに。しかし今日はこれから学校だろう? 報酬を渡すよ。鞄にしまって、紛失と遅刻をしないように登校するといい」
 モージズはドレッサーに置いてあった封筒を渡し、ショーンもそれを受け取ったが、首は横に降った。
「ありがとうございます。けれど試着するところを見届けなくては。修正が必要だといけませんから」
 真面目だね、とモージズは困ったように笑った。

 通された楽屋の奥の部屋には窓があるはずだったが、採寸に来た頃の記憶とは違い、奇妙に板が打ちつけられている。部屋は照明ではっきりと照らされているが、板の隙間から漏れる僅かな光を見つめる、背を向けた人形を、ショーンは人間だと錯覚してしまった。
「以前とは雰囲気が違いますね」
 細部に目を配る前からショーンはそんな感想を口に出したが、見れば見るほど違いがある。
 くすんだ金の髪、灰の瞳、成人女性をそのまま半分に小さくした、引き締まった体つきといった特徴は変わりないのだが、表情は今にも怨嗟の声を吐きそうに変わり、ネグリジェは暴れたように至る所が破れていた。しなやかな右手は拳になり、左手の指に数本の髪が絡まっている。その人形は以前から人間のように精巧だったが、まるで生気が宿ったかのようだ。
 ショーンは初めてその人形を見たとき、感心してモージズに作家名を訊いたのだが、蚤の市で買ったと言うばかりで、詳しいことは知れなかった。しかし今日は破れたネグリジェの隙間から、背中に“ミラベル・ベイル”と銘が刻まれているのが、かろうじて確認できる。人形の名かもしれないが、ショーンは頭の中で反芻して憶えようとした。
 ショーンがこしらえた人形服は、最初から彼女のものであったかのように着せることができたが、モージズはあまりショーンに長居してほしくないようだ。ショーンの鞄をベルボーイのように拾うと、忘れ物の確認もほどほどに、肩を押して部屋から連れ出す。