Chapter 1-3
期待に満ちた彼女の眼差しは透明でありながらも、欲望を理解している小悪魔のようで、無知な女性を自分が穢す責任が伴わないことに安堵した。
「ええ、トリガーはシャッターです。これは今のところCh.SARFACEからCh.AIRへの攻撃に特化しているので、幻覚の花を摂取して、まずはCh.SARFACEの状態になることをおすすめします。レアリティの高い幻覚の花を摂取すればウエポンがアップグレードされて、他のチャンネルに対しても有利になることがあるので、ぜひ開放してくださいね」
「SARFACEではあんまり爽快感はないって噂だけど、ハズレてしまったかしら」
「SARFACEは理性的に行動しやすいチャンネルですから、今後の方針を定めるのにピッタリですよ。戦略を見極めて、大局的に最高の快楽を得てくださいね」
「戦略かぁ、他のウエポンのことも把握する必要がありそうね。オーガナイザーの貴方にとっては、全てが手のひらの上って感じ?」
「だといいのですが、私自身は単細胞なので、ひとまず当たりをつけて作ってみて、触れて練習しながら調整している体当たりの姿勢です」
「さん、戦略のことなら俺に任せてください、この日のために研究を重ねてきましたから。クロッカスの担いでいたウエポンを見ましたか? アップルシューターですよ、そしてあの場所、これから手を加えられるかもしれませんが、接近できる余地のある遮蔽物と足場が意外とあるんですよ。近接戦に持ち込んで連射してやりましょう」
重要なことは頭に入っているとでも言うように、ヘリオトロープは小綺麗な冊子を取り出しながら言った。前に何冊か持っていって、ボロボロになるまで読み込んでいたものもあったから、きっと2冊めだろう。戦略ノートも見せてもらったことがある。彼は血の気が多いわりに几帳面で勤勉な性分なのか、普段のマメな愛情表現に違わぬ細やかな情報量を管理しつくしていた。
私の未熟なリバースパーティにそこまで入れ込んでくれるなんて申し訳ないばかりだけれど、楽しむ準備をしてきてくれた彼らの手前、堂々とすることに努める。
バーテンダーのストロベリーフィールドが経営する"ブラッドヴェスルズ"には、血管を模した細い幻覚のネオンライトがカウンターからバッグバーに至るまで埋め込むようにして張り巡らされ、静かに衝撃を与えるような異様な雰囲気を放っていた。
このパーティには出張所として展開してもらっているため、本来のブラッドヴェスルズとは違い大半は幻覚だが、彼のバーだと一目でわかるほどに特徴は共通している。精神世界を重んじる彼の店では、本物の食事も幻覚の食事も扱うが、アンバー区に本物の食材を運搬するのは危険が伴うので、リバースパーティということもありメニューは幻覚の方針だ。
カウンターには料理を前にして、訝しげに眉根を寄せたストロベリーフィールドが佇んでいた。普段は鷹揚とした相貌に困惑した陰りが落ちている。
「お前にはこの料理の香り、どう感じる?」
「どうって……」
手で空気を呼び込みながらめいっぱい吸い込むと、特盛のフライドポテトの見た目に反して、芳しい花の香りがアンバランスだった。
「幻覚ならではの面白フードですか?」
「やはりか」
ストロベリーフィールドが続けざまに示したホットドッグ、マカロニチーズ、チョコレートブラウニーなど、外周の区画の住民に好まれるこってりした料理の香りも、同様に香水のような甘い花のものだった。
「つい先程まではこうではなかったはずなのだが」
ハルシネーションフードはストロベリーフィールドが実際に作った料理を、私が試食して幻覚で再現する形態で作成している。実際の料理が花の香りに変化することはなかったから、私の再現が上手くいかなかったのだろう。
「こんな時間差の失敗の形もあるんですね。うーん、制作過程で判断できないバグにどう対策しましょうか。変化しない内に早めに出すとなると作り置きは……」
「えー、さんの料理に失敗なんてないですよ。俺が全て買い取ります!」
「ブラッドヴェスルズさんとのコラボで少しは値が張りますから全ては大変ですよ。貴方には帰ったら特別に作ってあげますから無理しないで」
「は!? 愛してる」
余計に財布を出そうとするヘリオトロープに「無理するなら作りませんよ」と言って牽制していると、カウンターに並ぶ料理の前にペンステモンが面白そうに着席した。なんだか映画館でスクリーンの真正面の席をとれる観客のようだ。
「わぁ、これって風味だけを味わえるっていう、あのハルシネーションフード? ダイエット目的で流行したこともあるけど、いくら口にしても実際に食べてるわけじゃないから、余計に食欲を掻き立てられたり、必要な栄養素が摂取できないからって見かけなくなったのよね」
「見かけないですか? なんとなく感じてましたけど、ペンステモンって良い区域に住んでるんですね」
外周の区域の住民は依存気質で貧困、この2つの特性を抱えていることが多い。外から数えて4番目に位置するパール区でも、安値で満たされることのない幻覚の食事を出す店は散見された。
「まぁここに遊びに来れないほどじゃないわよ。中心に近いの住民なんかだと迂闊に現れようものなら、大勢を魅了して人生を狂わせてしまうっていうのが一目でわかるわけだし」
「まぁここに遊びに来れないほどじゃないわよ。中心に近いの住民なんかだと迂闊に現れようものなら、大勢を魅了して人生を狂わせてしまうっていうのが一目でわかるわけだし。なんて雑談に付き合わせてたら料理を出せないわね。さ、ハルシネーションクッキングを始めるといいわ」
「そうですね、ハルシネーションリトライです」
「次はハルシネーションサクセスですよ、さん♪」
「ハルシネーションとつく用語が複数あることへのアンチテーゼか? 、そこでは人通りもあってやりにくいだろう。カウンターの内側に来るといい」
人とぶつかって手ぶれでもしたら再び失敗作ができるかもしれないので、スイングドアを開いて言われた通りカウンターに入ることにした。実はカウンターは簡素な本物で、血管を模したライトは幻覚による装飾だ。
当然のように一緒にカウンターに入るヘリオトロープにストロベリーフィールドが訝しげな視線を送るが、パートナーは有無を言わせぬ険しい視線で威圧したようだ。
「幻覚の料理ってどうやるのかしら。調理場面を見るのは初めてだわ、動画が回ってきたこともないわね」