Chapter 1-4
「修理はできない感じですか? 調理だと手がかかりそうな印象ですが」
ヘリオトロープに指摘され、改めて料理を観察する。見た目はストロベリーフィールドによってシャレた盛りつけをされてはいるが、ごく普通のマカロニチーズ。料理に接触できるように作った幻覚のフォークで口に運んだ味わいに異常はない。しかし嗅覚だけはどうしようもなくブーケに鼻を突っ込んでいるようで、内側の区域の住民たちが好んで食すという、エディブルフラワーサラダを思わせた。
表層に関しては把握できたので、幻覚を少し剥がして構造の確認に入る。
幻覚は作成者によって、ある程度は自由な手順を踏める。その痕跡はミルフィーユのような層となって残り、今回は作成時のまだ新しい記憶を頼りに異常を調べるのだ。実は私はこの層を細かく整頓しておらず、もどかしくなって過程で大半の要素を同化させてしまうので、管理しやすいとは言えない。
幻覚操作系のチャームは幾つかの種類が確認されているが、私が扱えるのは“黒い花“。使用するための条件は少しの魅力を持つことと、生産性のない空虚な欲望や過激なアイデアに影響を受けていること。内側の区域では現実逃避の手段として軽蔑されている、刹那的な享楽を謳歌するリバースパーティを彩るのに特化した能力だ。
私にとって黒い花は簡単に生成できるものではなく、入念な制作過程が伴うものだ。リバースパーティでは急に必要になった時に備えて、出来るだけすぐに使えるような形まで整えたあと、クラウンティアラ状にして頭に装着していた。いわゆる作り置きである。棘が生えてしまった部分もあるので、腕につけるのは怪我のもとだったのだ。
それらから、肝心の料理に干渉しやすくするために1本だけ抜きとり、黒い花の茎を針金のように引き伸ばして、層を切り開く。
細かく整頓していないが少なく纏まった層を確認していると、ついに香りの異変を発見した。
「これは……香りの部分の位相だけが綺麗にずれていますね。他の要素とすっかり組み合わさった層なのに、それらは正常なままです」
結合させてしまった層の特定の要素だけを変化させるのは、とにかく手間がかかる。
「元の風味とは差異が生まれるかもしれませんが、上から幻覚を重ねがけすれば誤魔化すことはできるかもしれません」
それはつまり、ブラッドヴェスルズの味に嘘をついて広めるのに等しい。
もしも私の不出来な幻覚で、ストロベリーフィールドが1から築き上げたバーの評判を落としてしまったら。
「では早速、作業に取りかかるといい」
「え!? 貴方のお店の味を正しく再現できないということですよ? 契約金はお支払いしますし、本日の売上の予定分は働いて返しますので、自粛させていただいたほうが……」
「は重いな思考が行動が。重低音と愛ならば重いに越したことはないが、行動が重いのは損気だぞ。良いじゃないか、これでこそコラボレーション。お前と私の生きかたが交わることを歓迎する。何より、の腕のことは信頼しているんだ。忠実に再現していたつもりだろうが、そのセンスが良い。再現された料理をいくつか試食して、確信に変わったよ」
思いもよらず嬉しい言葉をかけられて、いてもたってもいられず、今すぐロビーに展示されている航空機に乗り込んで飛び上がりそうな気持ちになった。残念ながら航空機は高さを調整した椅子にかけた幻覚なので、空に発つことはできない。
代わりに私は頷いて、手に持った黒い花をタクトのように軽く振り、その根源となる、悪夢のような娯楽に溺れることに関わる自分を引き出し、魂の奥底から魅力を込めた。
たおやかな花の芳しさを、向こうみずな人間が口にするカロリーの香りへと上塗りしていく。一時の快楽のために明るい展望を無視する、無気力とも言い切れない自傷的なエネルギー。それが悪癖のように循環してしまう私にとって、念願のリバースパーティの運営は生産的すぎる。実行するには黒い花に不可欠な気質を、入用でない間は抑えつける努力が必須だった。
やがて茎の断面がブラックパールのように輝き、熱されたガラスが溶けるかのように雫となる。それを香りを表す箇所に、一滴ずつ慎重に垂らした。
なんだか香りの位置がズレているように視えたので、黒い花の茎で押さえて理想の方向に引っ張る。
「……クレヨンと苔むしたオルトラーナピッツァのような香りになったわ。それに料理が……バイブレーションを始めた」
ペンステモンが焦点の定まらない瞳をしばたたかせる。
「ア゛? テメェさんの技術にケチつけるってんなら、」
ヘリオトロープが血眼になり始めたので、鎮めようと彼の瞼を手で覆いながら、安心させる言葉を探した。
「落ち着いて、! 加えた香りの位置を直そうとしたら、他に茎が当たってズレちゃったみたいで。すぐに直しますね」
今度は的を外さないように、ズ、ズ! と押さえて動かす僅かな操作を2回ほどすると、料理を表す全ての要素があるべき所に収まった。
「これは……! 揚げたての香ばしさと、食欲を刺激されるガーリックパウダーの奥に、どことなくチーズの深みを感じるんですが、もしかしてチーズの種類の違いまで表現されていますか? 嗅いでるだけで繊細な味付けをされたポテトの甘みが口いっぱいに広がるようです。素晴らしいですよ、さん!」
真っ先に反応してくれたのはヘリオトロープ。言いかたが詳細なのは、瞼を私が手で覆ったままだったので、嗅覚が鋭くなっていたせいだろう。
「さっきは少し驚いたけれど、さすがだわ。ダイエット中の子たちに匂わせてイジワルしたくなる出来ね」
「相性の良いカクテルのインスピレーションが湧いてくるほどだ、よくやった。今回はアルコールを出さないのが惜しいなぁ」
こんなに口々に褒めてもらえたら自惚れてしまう。様々なものを見聞して、自分なりに磨いてきたセンスが愛しくなる。それに優しい彼らにも感謝が溢れて、リバースパーティのテーマをミリタリーにしておきながら、内心はラブ&ピースだった。