Chapter 1-5
「ただ先ほどと同じように時間差で変質してしまわないか、それだけは気がかりなので、また異変があったら私に連絡してください。続けてお客さんの消費に耐えうる量の作業をしますね」
「ああ、連絡はさせてもらうが……作り置きの全ての料理の香りが変質したわけではないようだ。まずは状況を整理させてもらおうか」
考えを整理している様子で、ストロベリーフィールドは血管を模したネオンライトを指でなぞる。細く枝分かれした赤いネオンなのだが、それがニューロンを走る信号と重なって視えた。
「最初に香りの異変を感じたのは、20分ほど前だな。客に出す前に気づけたのは幸運だった。幻覚の料理は、焼きたて揚げたての味がすぐに落ちるものではないため、人気がある料理は早めに準備していた」
出せるように整えられたものは、バックバー、つまりカウンターとバーテンダーの背景に展示されているようだ。血管のネオンライトが霞まない程度に、個室タイプの棚自体が暗く発光しており、様々な料理が美術品であるかのように粛々と収められていた。
「保管庫にあったお前の作り置きのものを皿の上に顕現させたのが、35分ほど前のことだ。それから4名の客が注文して、2名には正常な料理を提供できたように思う」
「なんだかややこしい説明ですね。さん、俺が図にしましたので良かったら見てください」
メモ帳に手早くも読みやすい走り書きで図を完成させたヘリオトロープは、敏腕秘書のようにページを見せてくれる。隣のページは今日の私を観察した記録だった。幻覚を制作するのに費やした時間や、修正した回数などの役に立つデータから、アラームが鳴ってから起きるのにかかった時間、食事の内容、身体測定、服装の候補、関わった他人のリスト、ヘリオトロープと視線が合った回数、触れ合った回数、数センチ以内で呼吸をした回数、それらに対する所感まで、豊富な内容だった。
私の目線を追ってヘリオトロープは照れたように微笑み、視線が合った回数の項目に、印をひとつ書き足す。
書ききれなくなるまで触れる試みをしようか考えていたが、ストロベリーフィールドは私の挑戦を見届けることなく話を続けた。
「今から30分前、友人同士で訪れた様子の2人は、私生活の鬱憤だとか、占い師に相談しただとかの他愛ない会話をし、料理を味わう表情に翳りもなかった。要するに、この時点で異変は見られなかったということだ。SNSに幻覚の様子を投稿できないのが残念だと言っていたな。非合法である以上、自身の身を守るためにも、撮影禁止のルールは参加者同士で自警されているようだ」
正直なところ、私は1人の警備員しか雇うことができなかった。杜撰な管理と言われても仕方がない。規約は書面で提示したきりで、それが守られるかは参加者の良心が頼りだった。リバースパーティを実行したい気持ちを抑えきれず開催してしまって、考えが及ばないながらも大きな問題が起きていないのは、奇跡と呼んでもいい。
「撮影禁……あっ!」
私と積極的にツーショットを撮っていたヘリオトロープの言動がフラッシュバックした。ペンステモンに声をかけられたことに気を取られて、いつものことだと受け入れてしまっていたのだ。彼をじっと見ると、少しも悪びれずにチャーミングなウインクを返される。
「さん、どうしましたか? 運営の公式フォトってことでいいじゃないですか。観客が撮影禁止のライブでも、公式は撮影してたりしますよ?」
「運営がゲームに参戦してるのって不正を疑われませんか? ええと、一応は法に背いてる現場なので、公式でも撮影はしない方針です! 万がいち流出でもしたらロードデンドロンが検挙しに来ますよ」
「それもそうか。さんを守るためなら、惜しいですけど我慢しますね。絵日記で……」
「身内にもしっかりとノーを言えるなんてえらいわ。私たち参加者の安全はこうやって守られているのね」
ヘリオトロープは私の耳に顔を寄せると、大して抑えてもいない声で囁く。
「さん、俺はアイツを胡散臭いと思います」
彼の勘はよく当たるが、ペンステモンが胡散臭いとして、裏の顔に何を秘めているのかは見当がつかなかった。まさかロードデンドロンの捜査官ではないだろう。私はパートナーであるヘリオトロープの勘も信じたいが、人としてペンステモンが純粋に褒めてくれていると信じたい。
「肝心の異変が起きたのは、次の2名が訪れた頃だ。この2人は同時刻に別々に来店した。1人は詫びにブラッドヴェスルズのクーポンを渡すことによって感激させて有耶無耶にできた青年。もう1人はクーポンになびかない男だったな」
「個人の判別基準がクーポン……!」
「難色を示した男は厚かましくもお前やエアリアルスターについて根掘り葉掘り訊いてきたものだから、全て私のイマジネーションで答えてやったわ」
「どのようにお答えになったんですか」
「オーガナイザーは有無を言わせず虫歯を抜くチャームの使い手。エアリアルスターはリバースパーティという名目で、歯磨きを怠けるような堕落した者を集め、トリガーハッピーならぬデンタルハッピーであるお前が虫歯を好きなだけ手荒く治療するための餌であるとな」
「やだコワイ。ホワイトニングも欠かさないくらいよ、アタシ」
強盗にでも遭ったかのように、ペンステモンは両手を小さく上げて後ずさってみせた。